30代会社員が投資家としてFIREを目指すまでの人生の変革

投資を学ぶのに役に立つ

30代会社員のなおつんです。

今回は私の幼少期から現在の30代会社員として至るまで、お金に関する知識や考え方がどのように変化していったのかを解説していきます。

FIREを目指すまでにどのような意識の変化があったのかなど参考になればと思います。

私は資産運用をこのブログで公開しているので、興味がある方は関連記事をぜひご覧ください。

マネーリテラシーとは

ここ数年で「マネーリテラシー」という言葉を聞く事が多くなりました。

マネーリテラシーとは、正しいお金に関する知識を身に着けて、普段の生活で消費する住居費や食費などのお金の出入りをコントロールしたり、資産運用などにおいてもリスクとリターンを理解して実践できるといったお金に関する総合的な知識や能力の事を言います。

別名「金融リテラシー」と呼ばれる事もありますが、意味は同じと考えてもらって大丈夫です。

「老後2,000万円問題」や「終身雇用の崩壊」が社会問題としてニュースで取り上げられる中で、お金に関する漠然とした不安が多くの人を取り巻くなか、こういった言葉が流行しているという背景もあります。

 

幼稚園(就学前):+数千円

私が生まれてから小学生に入る前の記憶はかなり薄いですが、お金に関してはいくつか覚えている事があります。

正月になると家に多くの親戚が来て、みんなでご飯を食べたりする家は珍しくない光景だと思いますが、大人が食事をしながら談笑している間、私は子供ながらに「お年玉はいつもらえるのかな?」「あの人からは今年いくらもらえるかな?」などと期待を膨らましていました。

まだ幼かったためにお金を自分で使ったりすることはありませんでしたが、お金というものがどういうモノであるかは、両親が買い物をしている姿などを見る事である程度は認識していました。

記憶に鮮明にある面白いエピソードとしては、私には兄がいるのですが、いつかの正月の親戚の集まりの時に、当時は小学生くらいだった兄が親戚一同がいる中で「お年玉はまだ?」と大きな声で言った事です。

この兄の発言には両親が相当恥をかいたようで、後で相当叱られたようですが、今でも家族が集まった時には笑いのネタとして語られる事があります。

私は兄のように露骨にそのような事は言えませんでしたが、それでも幼い私なりのアピールだったのか、親戚の家に行った時などは自分のお小遣いであるコインを並べて遊ぶ事をしていたようです。

その親戚からは「お金たくさん持ってるね~」と可愛がられて、時々「これもあげる」といって100円玉を貰った記憶があり、私は心の中で「アピール大成功!!」とこっそり喜んでいたのを覚えています。

 

小学生~中学生時代:±0円

私は小学生の頃からひとりで遊ぶのが好きで、学校が休みの日は自転車を1時間以上も漕いでダイエーにあるおもちゃ売り場に遊びに行っていた事があります。

当時はドラクエのバトル鉛筆やポケモンカードが学校でも流行っていたので、それを自分のお小遣いで買ってジュースも買って飲みながらひとりで遊んだりする子供でした。

小学生になってからは正月のお年玉に加えて、母親から毎月おこづかいを貰っていました。

もらえるおこづかいは、小学3年生は300円、小学4年生は400円などと学年が上がるごとに金額も上がっていくという仕組みでした。

私は物を買って欲しいねだるような事はしなかったらしく、おこづかいの範囲で何とかやりくりしていましたが、貯金をする事はあまりなく、もらったおこづかいのほとんどはその月のうちにおもちゃなどに使って消えていました。

 

中学校になると、お小遣いの金額も増えて、中学1年生は1,000円、2年生は2,000、3年生は3,000円となりました。

中学生になると友達が増えて少し生意気にもなり、学校帰りにコンビニに寄ってお菓子を買い食いする事も増えました。

しかし、私のおこづかいではコンビニでそこまで贅沢にお菓子を買えるようなわけもなく、いつも友達がコンビニでカップラーメンやアイスを買っているのを横目に見てひもじい思いをしていたのを覚えています。

この頃から「もっとお金があればな~」なんて考えていました。

また、中学生に入ってからはバンドを始めた事により、よりお金のかかる趣味に走ってしまう道を選択する事になります。(いまでもバンドを楽しくやっているので、バンドを始めた事は全く後悔していません。)

当時はCDやビデオテープがまだまだ全盛期だったので、X JAPANのライブのビデオテープや初回限定のCDなど持っている友達が羨ましいと感じていました。

「どこからそんなお金が出てくるのだろう」という素朴な疑問と、自分のもらっているおこづかいの金額の差に愕然としたこともあります。

当時、私のやんちゃな兄がドラムをやり始めたので、ドラム自体はあったので何とかバンドの形にはなってのですが、楽器の機材のカタログを見ながら「これ欲しいな~」と妄想を膨らませていました。

当時の中学生が憧れていたギターやドラム機材などの値段は10~30万円と今まで扱ってきたお金の桁がひとつもふたつも違うので、「こんなのどんな金持ちが買うんだよ!」と嘆いていました。

中学生がどんなに頑張って貯めても届かない金額の高さに絶望し現実を見せられ、この時に高校生になったら絶対アルバイトして貯めようと決意しました。

この頃の私は「マネーリテラシー」どころか、とにかく「消費脳」であったため、どんなに家庭が裕福でお金持ちであったとしても使う事しか考えられなかったと思います。

私は裕福な家庭で生まれ育ったわけではありませんが、親に感謝したいところは毎月おこづかいをく私に与えてくれ、その範囲であれば使いみちにはいっさい口を出さなかった事です。

時にはおこづかいを使い過ぎて失敗をしたり、何度も友達の家庭環境やお財布事情を羨ましがったり、高額な楽器のカタログの値段に絶望したり、お金の現実を身をもって体験させてくれたのは、今になっても大きな糧となっています。

 

高校生時代:+40万円

中学生時代は友達が放課後に買い食いをしているのを見てよだれを垂らしている事が多かった私ですが、高校生になってアルバイトを始めた事により私の金銭感覚に大きな変化が生じました。

アルバイトは高校の近くにあったファストフード店で1年生の春から働き始めたので同級生の中でも早い方だったと思います。

当時の私の時給は650円程度(今考えるとかなり低賃金?)だったと思うのですが、1か月頑張ってもらった最初のお給料が口座に振り込まれて残高を確認した時は嬉しくて死にそうになりました。

そのもらった初めての給料は4万円くらいでしたが、当時の高校生の私にしてみれば気の遠くなるような大金にビビった事を今でも鮮明に覚えています。

「4万円もあれば放課後カップラーメンを何個も買えるし、お菓子だっていくらでも買える。頑張って貯金すれば高級な楽器も買える!」と、お金の使いみちを考えるだけでワクワクし、心が躍る気持ちになりました。

高校生になると学内に売店があったこともあり、最初のうちは数百円程度のお菓子を買ったりしていましたが、それがどんどんエスカレートして放課後にファミレスやラーメン店でご飯を食べたりするようにまでなりました。

週3~4日のアルバイトが大変な分、自分にご褒美をあげるつもりでカップラーメンどころか、放課後にひとりで外食をするようにまでなりました。

時には仲の良い友達に学校帰りにラーメンやご飯を奢ってあげる事も多く、中学生時代に私が羨んでいた友達とは立場が逆転したと変な優越感に浸っていた事もありました。

 

アルバイトは土日も行っていたのでそれなりに大変で憂鬱になる時期もありましたが、それでも高校生にしてはお金があったので贅沢な高校生時代を送ったという想い出があります。

土日にはバスで遠くの街に出て、友達と買い物をするという事もしましたが、中学生の頃のようにお金に困ったという記憶はありません。

 

ただ、この時期からお金に関する価値観が友達と違うなと感じた時期でもありました。

覚えているエピソードは、何故かそこまで仲の良くない友達とゲームセンターに行った時です。

その友達がゲーム機に次々と100円玉を投入していてプレイしている一方で、全くゲームをせずにその友達の様子ばかりを見ていた私に向かって「お前なんで全然ゲームしないの?つまんねえヤツだな!」と言われた事です。

いまになって考えてみれば、何故その友達と好きでもないゲームセンターに行ったのかも謎ですが、その友達を見て「もったいないお金の使い方をするな」「ゲーセンなんて何も残らないのに」と思っていたのを覚えています。

もちろん、その頃の私も人にモノを言えるような立派なお金の使い方はしていませんでしたが、人によってこんなにも価値観が違うんだという事を学んだ経験でもありました。

 

基本的にアルバイトで稼いだお金は自分の好きな事だけに使っていましたが、同時にそれなりの貯金も出来ていて、3年生を卒業する時には40万円くらいは貯金があったと思います。

もちろんこの頃はまだ「投資」なんて言葉を聞いた事はなく、出来る事としては「貯める」「使う」の2拓しかなく、これが社会人になってもずっと続くものだと考えていました。

 

大学生時代:-300万円

私は2年間の短期大学を卒業していますが、この大学時代はお金に苦労した時代でもあり、金銭感覚が大きく狂う時期でもありました。

「高校生の時にはあれだけ散財しながらも貯金も少しはあったのに」と思うかも知れませんが、これには理由があります。

学費は自分で払うという事を両親と相談して進学したわけですが、奨学金を借りながらコンビニでアルバイトもしていました。

学費は四半期ごとに数十万円を支払うようになっていたので、普通であれば借りた奨学金から払えますが、奨学金は毎月一定額が口座に振り込まれるのでアルバイトの給料と合わせるといつもそれなりのお金が私の口座にはありました。

当時、奨学金は毎月10万円前後が振り込まれて、コンビニのアルバイトが毎月8万円くらい稼いでいたと思います。

もちろん奨学金は毎月自分の口座に振り込まれるとはいえ、学費のためのお金なので、他の事に使ってはいけないという事も分かっていたのですが、大金が口座にあるという事実が私の気を大きくさせたのか、1週間の半分くらいは同期の家に泊まり込み、近くのコンビニでお酒を買っては飲み食いするような生活をしていました。

こんな生活をしていると、当然ですが学費の支払い期日が近くなると「支払いはどうしよう」と焦り出します。

学費の支払が来ることは分かってはいたけど、友達との楽しい飲み会や遊びは止められないという悪循環の中、アルバイトの給料と合わせて何とか学費の支払いは済ませていました。

しかし、これに懲りる事もなく毎月振り込まれる奨学金とアルバイトの給料で「なんとかなるでしょ!」と考えていました。

私の学生時代の実態はただの自転車操業の状態で、しかも奨学金は大きな借金であるという事にその当時はまだ甘い認識しか持っていませんでしたし、社会人になってバリバリ働けば余裕で返せるだろうと高を括っていました。

この奨学金の支払いが後の社会人生活に大きな影響を与える事になります。

 

それでも私に救いがあったのは、私はギャンブルは全く興味を示さなかったという事です。

大学時代に仲の良かった友達はパチンコなどギャンブルをやるのがほとんどでしたが、なぜか私はこれらには全く手を出さず、授業の空いた時間に友達が「パチンコに行ってくる」と出かけても私はひとりでギターを弾いたり勉強をしているような学生でした。

もし私がギャンブルにハマっていたとしたら、今でももっと悲惨な目に合っていたかも知れません。

 

社会人1~5年目:-70万円

大学を卒業して何とか就職できた私ですが、ここでもお金に苦労する事になります。

就職した会社は自動車販売会社、つまり車の正規ディーラーですが、ここの整備士として働き始めました。

学生の頃は「社会人になったら奨学金くらい返せるだろう」と軽く考えていた私ですが、実際に返済が始まると資金繰りにかなり苦労しました。

奨学金として借りた金額の合計は約300万円で、毎月の返済額は約15,000円でした。

社会人1年目の給料はそこまで高くなく(というか自動車整備士の給料がもともと高くない)、1人暮らしを始めた私は毎月の生活がいっぱいいっぱいでした。

そんな状態であるにも関わらず、学生の時には買えなかった維持費の高い車を5年ローンで購入した事や、同期との飲み食いも頻繁に行っていたので改善する余地は全くありません。

しかも社会人になってからクレジットカードを作った事も当時の私にとっては大きなマイナスでした。

奨学金や車のローンが払えず、クレジットカードのキャッシングやリボ払いもしており、最高で70万円くらい借入れをしていた時期もありました。

自分でも信じられない状態ですが、本当にお金が無い社会人生活を送っており、わずかにもらえるボーナスで何とかやりくりしている状況でした。

今の自分になって考えてみれば、見栄を張った維持費の高い車を売却して身分相応の車に乗り換えたり、いっさいの贅沢を止めてまずはクレジットカードの残債を出来るだけ減らす努力はできますが、当時の私はそんな考えもありませんし、あったとしても目先の欲望に負けてまたいつも通りの生活をしていた事と思います。

もちろん投資や資産運用という言葉も知りませんし、そんな余裕は一切なくお金に振り回されていました。

そんな会社員を過ごしていましたが、会社の先輩や上司は「早く家を買った方が良いぞ!」とか「車屋だからそれなりに良い車に乗っていないと恥ずかしいぞ!」といったアドバイスもされました。

いま思えば随分とお節介なアドバイスだと思いますが、当時の自分は「そういうものなのか」と妙に納得したのと、いずれは家族を持ってローンで家を買うのが当たり前なんだと漠然と自分の将来を予想していました。

車のローンと奨学金の返済などで資金繰りに厳しい私でしたが、希望としては年数を重ねるごとに給料が上がってローンが払い終える頃にはマシな生活が送れると考える事が出来たのが希望としてありました。

しかし、この会社で働いていた5年間でこの状況は改善する事もなく、キャッシングやリボ払いの借金はほとんど減る事はありませんでした。

 

海外ボランティア時代:±0円

就職した会社を5年間勤めたあと、その会社を退職して海外ボランティア(JICA 青年海外協力隊)として2年間アフリカに行ったことも私の人生の大きな変化点でした。

海外ボランティアに行く事になったきっかけは、英語をマスターして海外で働きたいという単純なものでしたが、赴任する直前の私は会社員の時の借金が40万円ほどまだ残っていた状態でした。

赴任するための事前の研修費、現地への渡航費、現地生活費などは全てJICA負担してくれたので、借金が増える事はありませんでしたが、アフリカに赴任している2年間においても、わずかにもらえる日本の積立金の中からクレジットカードの借金の返済をしていました。

海外ボランティアに赴任している間に借金が減っていくのは精神的には非常に良かった事でしたが、2年の任期を終えて帰国した時にも20万円ほどの借金がまだ残っており、帰国時にJICAからもらえる社会に復帰するための手当の中からようやく全額返済する事になりました。

結局のところ、学生時代に作った数十万円の借金をずっと引きずるように返済に追われた状態でした。

この理由はリボ払いやキャッシングの金利の高さによっていくら返済をしても、元本がなかなか減っていなかった事です。

時々思う事は、会社員時代には頑張って働いたにも関わらず、目に見える形で残ったものはほとんど無く、「借金」だけだったなと悲しくなることもありますが、お金の大きな失敗が若いうちに出来た事も経験として今は前向きに捉えるようにしています。

海外ボランティアから帰国した時の私は30歳になる手前でしたが、ようやく借金も無くなり(もちろん貯金もゼロ)また一からのスタートを切れたという感じで現在に至ります。

また、この時に交流のあった日本人から借りた荻原博子さんの「投資なんて、おやめなさい」という本を読んだことで、投資や資産運用に興味を持ちはじめ、のちに投資家としての道を歩み始めることになります。

 

ちなみに海外ボランティアでもらえる現地生活費は毎月400ドル程度でした。それ以外にも日本の口座に振り込まれるお金が毎月5万円くらいありました。

普通に現地で生活をしていれば、帰国後には5万円×24ヵ月で120万円ほどの貯金が自動的にできてているはずでしたが、私の場合は赴任中も借金を返していたので20万円ほどしか残りませんでした。

そのわずかなお金も再就職するための費用などで使い切ってしまい、今の会社で働き始めた時にはほとんどゼロの状態でした。

海外ボランティアを経験してお金に関して良かった事は、借金返済が出来た事ももちろんですが、アフリカの生活にある程度は馴染むことが出来た事も大きいと思います。

実は人間が生きていくために必要な物って意外にも少ないんだなと思ったことや、お金があっても贅沢が出来るほどに物資が無いということも私にとっては良い経験だったと思います。

「現地の生活に馴染む」、つまりお金のあるなしに関係なく、与えられたものだけで人生を楽しむ事を現地の人から学んだことも大きな成長に繋がりました。

 

現在(会社員+副業):+1,000万円

海外ボランティアを終え帰国した私は、地元から離れた場所でメーカーに再就職することになりますが、整備士の時よりもかなり収入も良くなりました。

仕事も頑張った事で順調に貯金は増えて100万円くらいになったときに、投資の第一歩として「つみたてNISA」を始めました。

貯金が出来て投資が出来たのも海外ボランティアを経験した事で、借金面でも精神面でもゼロにリセット出来た事が大きと思います。

ひとつ言えることとしては、昔よりも給料が良くなったから貯金が出来るようになったからではなく、考え方と行動を変えた事が今の余裕のある生活に至っていると考えています。

事実として、社会人として最初に勤めていた時よりも、今の生活の方がよっぽど質素で生活コストも随分と低くなっています。

昔よりも貰える給料が増えたからではなく、使うお金を減らした事で余裕が生まれている事は間違いなく、もし昔のままの給料で今の生活をしなさいと言われても、全然できてしまうくらい生活費は低く抑えられています。

この精神的な余裕があるからこそ、今はもらった給料のほとんどを投資資金に出来ています。

 

投資と聞くと「損をしたらどうしよう」や「ギャンブルと同じでしょ」と考える人もいるようで、始めるにはそれなりの勇気がいりますが、私の場合はマイナスからのスタートだったので、投資を始める時も今さら投資で失敗しても大きなダメージはないなと気楽でいました。

もともとギャンブルをやらなかった私なので、株を頻繁に売買するようなリスクの大きい投資は馴染まず、コツコツと積み立てる事で着実に資産を増やす事が出来ています。

2020年2~3月には新型コロナウイルスによって世界が混乱し株価が大暴落した時にはさすがに落ち込みましたが、その時を何とか耐え抜いたおかげで株価は順調に回復してそれに伴って現在の資産は1,000万円を超える事が出来ています。

 

また、現在は家庭教師とこのブログを副業としてやっており、わずかながらも副収入を得ている事も精神的な安定をもたらしてくれています。

一日の収益が数百円だったとしても、生活費の数%を稼ぐことが出来たと考えれば、それだけ会社に依存することなく自分の人生の設計ができる事にもなるので、会社員として働きつつ副業は細く長くやっていく事を大事にしています。

副業でもっと収益が稼げるようになれば、いずれは会社を辞めて独立など別の選択肢も考えるかも知れませんが、まずは楽しくやる事が大前提なので楽な気持ちで取り組んでいます。

 

これから:+数千万円?

自分の事を「投資家」と名乗ることに抵抗があったり、恥ずかしい思いもあるかもしれませんが、私はあまり気にしていません。

もちろん投資の世界にはもっと上には上がいますし、投資の知識に関しても私はまだまだ勉強中です。

それでも、自分の考え方や生活スタイルに合わせてお金と向き合い、投資をしていく事においては全て自己責任なので、金額の大きさや知識量に関わらず「投資家」として名乗る事は何も悪い事ではないと思います。

これからの私は投資を続けてFIREを達成する事が当面の目標としています。

ただFIREを達成したからといって現在の会社を退職するつもりは今のところ考えてはおらず、出来るだけ長く働こうかと思っています。

FIREを達成しておく事で万が一の時にいつでも会社を辞めても大丈夫という状態にしておく事で、さらに心の余裕が生まれ、変に仕事のプレッシャーを感じて自分を無理に追い込むことも無くなります。

今のまま行けば、早くて40代半ばにはFIREが達成できると思いますので、その頃が近くなったらまた自分の人生について考えれば良いと思っています。

社会人として最初に就職した会社で働いていた時は、まさか自分が海外ボランティアに行くなんて夢にも思っていませんでした。

つまり自分の人生なんてどうなるか分からないということです。

ただ、お金に関しては投資を続ける事で選択肢が増える事は間違いないので、これからもFIRE達成に向かって走り続けたいと考えています。

興味があればぜひ関連記事もご覧ください。

なおつん Lv.若手平社員

30代会社員のなおつんです。
このブログでは30代会社員の悩みを同じ会社員へ向け共有し、今日よりも明日へ一歩前進できるような記事を書いています。

私は製造業(メーカー)の営業系の部署で働いており、年に数回海外出張もします。

個人投資家として様々な投資案件もチャレンジしてFIREを目指して奮闘中です。
会社員や投資家の方にとって有益な情報を発信しています。

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